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第5回  〜標準的治療(standard of care)とはA〜

前回,標準的治療とは何かについてご説明しました。今回はその続きと,アメリカの医師がどのように最新の知識を維持しているかを解説します。

標準的治療を作り出す臨床試験は,例えば次のような状態の患者さまを対象に施行されます。 "いままで治療されたことがない転移性肺がんの患者さまで,年齢18〜70歳まで,がんのほかは元気で重篤な合併疾患もない状態。"
上記のような患者さまはたくさんいらっしゃいますが,それに当てはまらないがん患者さまもたくさんいらっしゃいます。例えば70歳以上の高齢であったり,重篤な合併疾患があったりする患者さまです。それらの患者さまは治療により副作用が強くでたり,副作用によって合併する疾患が悪化したりすることがあるので通常の治療ができないことがあります。そのため,試そうとする薬や治療の結果が悪く出ることが予想されるので,薬の有効性を示すことを目的とした臨床試験に参加できないことが多いのです。ゆえにそういう患者さまたちにはどのような治療をしたら最善なのかよく分かっていません。このような患者さまは肺がん以外のがんでも無数に存在します。

ではこのような病態の患者さまは,どのように治療したら良いのでしょうか?
多くの場合,私たちは今まで学んだ知識と技術から身につけた専門的意見と医学的常識を使います。ここにさじ加減などの経験からくる勘がものをいう部分があります。あるいは様々な学会等が発表している治療のガイドラインというものもあります。これは各界の専門家が集まり,皆で提案し協議した結果がエキスパートオピニオンとなって発表されています。がんに関してはアメリカで作成されたNCCN Guideline (NationalComprehensive Cancer Network Guideline)が有名です。これは英語ですが※,オンラインでだれでも無料で閲覧できます。その他にガイドライン的なものにアメリカ国立がん研究所 (National Cancer Institute,NCI)がオンラインで発表している PDQ ○R (PhysicianData Query)という標準的治療の概要が掲載されているウェブサイトがあります。これは医療従事者向けに書かれた専門的な内容と,患者さま向けに解りやすく書かれた病気と治療の説明がそれぞれ個々のがん毎に閲覧できるようになっています。 しかしこれも英語です※。
※患者団体のサイトなどで一部和訳されたものが掲載されています。
医学論文,学会発表,治療ガイドラインに加え,昔ながらの教科書も利用します。しかし最近はインターネットの普及で教科書がオンライン化され,新しい知見がでるたびに逐一改訂されるものが出現してきました。代表的なものはUpToDate ○Rというアメリカの内科,小児科,婦人科が合わさったオンラインの教科書です。通常教科書は3〜5年ごとに改訂され,執筆から出版までには時間がかかるため,出版の6ヶ月以上前の知見までしか掲載できません。それに比べると画期的なことです。私も以前はハリソン内科書という教科書を使用していましたが,いまはこのUpToDate ○R一辺倒です。

このほかに我々が利用するサービスに以下のようなものもあります。乳がんや大腸がんでは手術後にアジュバント療法(補助療法)という,抗がん剤,放射線などの手術以外の治療を追加することがあります。Adjuvant!Online○Rというアメリカのウェブサイトでは,現存するエビデンス(研究,論文に基づいた正しい治療の指針)をもとにそれぞれのアジュバント療法の有効性を数字で示したものがあります。患者さまの年齢,腫瘍の大きさ,リンパ節転移の有無,腫瘍の悪性度,ホルモン受容体の有無などの情報をいれると,その患者さまの生存率とそれぞれのアジュバント療法を施行した場合の予後の改善度が示されます。このサイトの信憑性はわずかに議論されていますが,アメリカではほぼルーチンに臨床の現場で使用されています。また患者さまに説明する際の解りやすい資料にもなります。これもオンラインで世界中だれでも利用できます。

アメリカではこれらに加え,世界で一番大きなアメリカ臨床腫瘍学会ASCO(American Society of Clinical Oncology)やアメリカ血液学会ASH(Ame-rican Society of Hematology)があり,毎年1万人以上の腫瘍専門医を集める学会が開かれています。その学会や学会誌に研究結果や論文を投稿,発表するには高度な基準があり,それが採用されることは研究者にとって名誉なことです。今回私が出席したASCOの総会では医師,研究者,企業の関係者など総勢3万5千人ほどが参加したそうです。世界で一番大きい催事場のシカゴのマコーミックプレースはまるで日曜の銀座通りのように賑わっていました。ここでは世界各地の有名な医師や研究者たちが集まり,選ばれた5,000を超える最新の研究結果や今後の展望が発表されます。ここの学会で口頭発表という講演形式で行われる数百の発表は大規模臨床試験の結果が多く,それらは今後新たな標準的治療として提案,確立されてゆくものです。それ以外比較的小規模のポスター形式での発表は数千ありますが,それらの中にはまだ標準的治療として受けいれられるのには時期尚早でも, 斬新で独創的な研究や大規模研究の初期段階の発表などがあり,本当の専門家はそちらの方が目当てのときがあります。

ASCOの総会は5日間にわたる朝から晩までの学会ですが,忙しい仕事の合間をぬって参加したい医師には簡単なことではありません。そのためアメリカではこれらの大きな学会に行けなかった人用に総会で発表された重要事項をまとめて1日で終了する「レビューコース」という小規模の勉強会が開催されます。ここに来る演者たちは乳がん,肺がんなど代表的ながん治療の専門家たちで,総会で講演した方自らが講義をしてくれることもあります。これらは各地の大都市で施行され参加費は多くの場合無料です。 バックに製薬会社がスポンサーとしてついていますが, 薬品名は一般名称で使用され,会社の製品の宣伝にならず,偏りのないバランスのとれた教育内容になっています。これに比べると日本で頻繁に施行されている "研究会" という講演会は通常製薬会社の製品の宣伝的な要素が強く,フェアな内容でないこともあって残念です。

アメリカの大都市では,大学病院やNOCR(Networking for Oncology Communication and Research)などの非営利機関が主催する系統的な教育講演も定期的に催されており,専門医の生涯教育の機会は日本に比べると遥かに充実しています。優れている点は,製薬会社のバイアスがない純粋に学問的な内容が多く,しかもある薬のみについてではなく,それぞれのがんに関して基礎から最新の知見を網羅してくれることです。残念ながら日本ではこのような最新の知見に基づいた系統的な内容を講義できる専門医も数少ないのが現状です。腫瘍内科に関する日本の卒後教育の貧弱さを露呈しているといわざるをえません。また,時を追うにつれてめまぐるしく変化し新たな情報が出現するので,それらの知識についていくのはアメリカの医師でも容易ではありません。卒業してしばらくたった医師たちがこれらの会合に出席して,最新知見と標準的治療の知識をアップデートしています。

標準的治療は現存する治療で最良とされています。しかしそれでも時に治療結果が最良でないことがあるのは,そこが現代の医学の限界だからです。だからこそ日夜私たちは診療と研究に励んで新しい知識を身につけようと努力しているのです。

[NCCN Guideline] http://www.nccn.org
[アメリカ国立がん研究所,PDQ] http://www.cancer.gov/
[Adjuvant!Online] http://www.adjuvantonline.com
[NOCR] http://www.nocr.com

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